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NPO法人国際縄文学協会でのライブレポートが機関誌「縄文」12号に掲載されました。

「私の縄文音楽雑記」音楽ライター 辻 恵子

 俳優の江守徹さんが、先日テレビのインタビューに答えて「僕を一言で例えるなら縄文人。エピキュリアン! 裸でいつも素直なんだ」と言っていました。自分を縄文人に例える人は他にもいますし、何のゆかりもない会社の名前にも使われたりして、最近「縄文」と言う言葉がやたらと目に付きます。それは閉塞感にさいなまれている今の日本人が、縄文という時代に、憧れにも似た気持ちをもち始めたからなのでしょうか。

 真夏の日差しが眩しかった七月二日、西新宿ホールにおける国際縄文協会講演会に、初めておじゃましました。縄文学にうとい私にとって、その日の講演会の興味は、主に宇々地さんの土笛のミニライブでした。私はクラシック系の音楽ライターをしていることもあって、「縄文の土笛」の演奏は珍しく、新鮮で、はたしてどのような音楽世界を繰り広げてくれるのか、興味津々で出かけていったのです。(当日の模様

 しかしその太古の音色に触れた感想を言う前に、そもそも音楽の始まりとはどんなものだったのかという、最もミステリアスな問題について、幾つかの説をご紹介してみたいと思います。

 人類がこの地球上に出現したのは、今から約250万年前だといわれています。直立歩行ができ、知能が発達することにより、火の使用、道具の製作、言葉を使うことを覚えた私たちの先祖は、縄文時代より遥か昔に音楽を作り出していたようです。しかしそれはいつ、どのように生まれたのか、何のためにできたのか、残念ながら未だに決定的な解明はなされていません。

1 人間が鳥や獣の泣き声をまねたことが音楽の始まりだという説
  これは古代の人でなくても、今も世界中の芸人がやっていますが・・・。

2 呪術や戦いを鼓舞するためにリズムをとって動いていた動作が、自然に音楽になったという説
  アフリカ奥地の部族の映像などを見ると、この説のルーツを垣間見るようです。

3 自然の恵みに感謝したり、嵐を静めようと願う時や雨乞いなど、人々の感情の高まりが自然に音楽表現になったという説
  つまりは宗教が起源だという説で、聖歌もここからきたと考えられています。しかしこれは起源というより、音楽の役割、活用と考えたほうがよいでしょう。

4 単純に声が上下したり、叫んだりしていたのが音楽となったという説
  ターザンの有名な「アーァアー」という雄叫びは、音楽のルーツだったのかもしれない。

  なんて、少々ふざけ過ぎてしまいましたが、いずれにしても音楽の史源を解明するのは、タイムマシンでも発明されない限り、現状では不可能なようです。しかしこの魅力的なミステリーは、縄文音楽をたどることによって、かなり究明されていくのではないかと、密かに期待しているのですが。

宇々地氏制作の土笛

 話を講演会のミニライブに戻しましょう。演奏者の宇々地さんは陶芸家でもあり、縄文時代に作られたのと同じような土笛を偶然作り、その美しい音色に魅せられたといいます。土笛は、土器鼓、土鈴とともに「縄文の三種の神器」だそうですが、どんなに優れた笛だとしても、しょせん土笛は土笛。素朴で温かみがある音色だとしても、演奏すれば、こもった音の単調な調べが繰り返されるだけだろうと想像していました。

 しかし実際に聴いた宇々地さんの演奏は、ほとんどが形式にそって作られているクラシック音楽と違い、自由でダイナミックで無限の広がりを見せ、澄んだ音色を響かせていたのです。私はライブが始まるとすぐに、自分の硬い頭を柔らかく切り換えなければなりませんでした。

 その独特なメロディと節回し、時に優しく、時に激しく語りかけてくるような宇々地さんの演奏は、次第に不思議な空気をかもし出し、会場にいた人々を異次元の世界へと誘っていきました。彼のうみ出す音楽は、押し付けがましいところがなく、あくまでも聞き手に委ねられていましたので、私たちがそれをどう解釈するか、どうイメージするかは、縄文人であるかないかのリトマス試験紙だったかもしれません。

 打楽器奏者で自ら縄文太鼓を復元して演奏する土取利行氏が、自著『縄文の音』に、「縄文人たちの演奏は、単音ないし少数音で、一定のリズムパターンを繰り返すたぐいのものだったと思う」としながら、「縄文人は音色や響きそのものに音楽的感心をもっていた」と書いています。

 またニュースレター『縄文』11号のインタビュー記事において宇々地さんも「縄文の笛は音階を出し、メロディを奏でるというよりは『音』の響きを大切にしていたと思われます」と答えていて、図らずも二人の縄文楽器演奏家の意見は一致しています。

 「響き」に関して言うと、旋律や音階の発展に重きを置く西洋音楽の世界では、楽器の「響き」は、17世紀頃になるまで、さほど重要ではありませんでした。しかし歌に関しては、キリスト教がローマの国教になった四世紀頃より、神への忠誠を示す聖歌の合唱で、「響き」はとても大切なものになっていったのです。

 話が少しそれましたが、「音楽の始まりの説」でふれましたように、「音楽」というものは、その役割として、宗教と深い係わりがあったようです。自然界のありとあらゆるものに精霊が宿ると考えるアニミズム的な宗教観は、宮崎駿監督のアニメ「千と千尋の神隠し」でも感じられるように、今も私達日本人には強く残っています。そのDNAをたどった祖先の縄文人が、風や嵐や雨、鳥や獣たちといった、森の様々な精霊と、土笛、石笛、鹿笛などを使って魂の交信をしていたとしても不思議ではありません。

 縄文時代の音楽をたどる一つの方法として、世界各地にいる先住民を対象とした研究がなされているようですが、土取利行氏の著書『縄文の音』によれば、マライ半島内陸低地密林に居住するネグリットの歌は、ほとんどがシャーマンの儀式のためだそうです。

 「短いモチーフからなる旋律、単純な二拍子型のリズム、これらシンプルな音楽構造はまさに集団で歌うことを容易にし、霊にむけての響きをより促進させたろう。シャーマンはこうした響きの中で、自らをトランス状態に追い込み、心の中から湧き出てくる歌を歌い、最後に神に出会う」と書いてあり、かなり興味をそそられました。
それにしても縄文の音楽が、神に意思を伝える手段だったり、狩の合図だったり、何かの儀式に使われたという説は多々ありますが、病気治療のためのものだったという説はあまり聞きません。神に病を治して欲しいと願う「祈祷音楽」説はあるかもしれませんが、そうした神頼みではなく、自分たち自身で体を直す、治癒力を活性化させるための医療音楽はなかったのでしょうか。

 最近音楽療法なるものが注目され、学術的にも認められるようになりました。病に合ったクラシック音楽を繰り返し聴くことによって、症状が軽くなったり、治癒したりするケースもあるそうです。特にモーツァルトの音楽は、最大級の治癒力があると言われています。作家のなかにし礼さんは、「モーツァルトの音楽は、人間の善も悪も、崇高さや愚かさ、強さ弱さ、総てを持っている。それを聴くことによって、体の余分なものを排除し、必要なものを吸収する。すべての人間の細胞を活性化できるのはモーツァルトだけ」と断言しています。
モーツァルトの交響曲第二十五番は鼻炎に効果があるそうで、同じく交響曲第三十五番はアレルギー、有名な「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」は胃腸障害に良く効くということです。

 モーツァルトの音楽に多く見られる3,500ヘルツ以上の高周波は、体に良いそうですが、山梨県釈迦堂遺跡からは、人間の可聴範囲を越えた20,000ヘルツ以上をだす土笛が出土しています。このことは18世紀に活躍したモーツァルトとは比べようもなく、今以上に人間の五感が優れていた、縄文という時代の音楽の役割に、医療行為があったかもしれないと思うのは、考え過ぎでしょうか。

 いずれにしても宇々地さんや天地さんたちの、自然や空気に呼応して、インスピレーションの趣くままに作り出す縄文音楽が、今後音楽療法の大きなテーマとなり、心の癒しだけではなく、病気にも効力を発揮するという検証がなされる日が来ることを願っています。

 余談ですが、我が家は春木山遺跡という縄文遺跡のほぼ真上に建てられています。ここは高台に位置し、すぐ下には石神井川が流れているという立地で、風の通りもよく、暮らしやすい所です。きっと過去においても住み心地のよい場所だったに違いありません。春木山遺跡は、昭和31年に発掘調査された約1万5千〜2万年前(先土器時代、縄文中・後期)の遺跡といわれていますが、調査前は地主さんがちょっと土を深く掘ると、石器や土器のかけらがごろごろ出てきたそうです。しかし残念ながら、楽器が出土されたという記録はありません。

 不思議なことに、今度の講演会におじゃますることになったと同時に、町内会の記念冊子で、我が家が縄文遺跡の上に建てられている事を初めて知り驚きました。偶然かもしれませんが、何かの因縁を感じずにはいられません。

 今回縄文音楽について考える機会をいただき、つくづく思ったのは、「音楽」というものは、今も昔も、人間にとって実に不思議な存在で、その威力は言葉よりも強いかもしれないということでした。そしてこの不思議なパワーはこの先、千年後も一万年後も、人類が生息する限り、途絶えることはないでしょう。
(国際縄文学協会会員)



〈参考文献〉 
「縄文の音」土取利行著(青土社)
「楽器の考古学」山田光洋著(同成社)
「音楽史」堀内敬三著(音楽之友社)
「音楽史物語」河野保雄著(芸術現代社)
「音楽史」真篠将編集(全音楽譜出版社)

NPO法人 国際縄文学協会
当日の模様